ぐるぐる思考の正体〜なぜなぜ内側から抜け出せないのでしょうか?
なぜ私たちは心の中の``勝手に流れる声``に没入しやすく、抜け出せなくなってしまうのでしょうか?
例えば:夜中に「あの時、ああしなければよかった・・・」と
考え始めると、脳は不思議なくらい同じ不安を裏付ける出来事ばかり探し出してきませんか?
「昔も同じような失敗をしたし、あの時もうまくいかなかった・・・」と、
さらに暗い気分に拍車がかかる。
心理学的には、これは脳が「危険や不安を見落とさないようにしよう」とする防衛本能とも言われています。
一度スイッチが入ると、どんどんネガテイブ要素を探し出してしまうんです。
これは思考に取り憑かれている状態で、映画のスクリーンにどっぷり没入した観客が、現実を完全に忘れてしまうのと似ています。
しかもその映像の多くは「過去」や「未来」に関するもの。
``今この瞬間``に起こっているものではありません。
言うなれば、過去の記憶や、まだ起きていない未来への妄想を繰り返し観ているにすぎないのです。
でも私たちは、それをリアルな現実と同じレベルで真に受けてしまうから、それがあたかも今起こっているかのように感じて苦しんだり辛い思いをしてしまっています。
こうして思考がぐるぐる回り続けるとき、「いや、まずはそのドラマ映像ばかりを見るのをやめて、目の前にあるスクリーンに意識を向けてごらん、と。
なぜなら、過去でも未来でもなく「今起こっていること」に目を向けて見れば、意外と新しいチャンスやヒントが転がっているかもしれないからです。
じっさいぐるぐる思考に陥る時ほど、人は現実の変化や周りのサポートを見落としがちで、例えば誰かが「大丈夫?何か手伝おうか?」と声をかけてくれているのに、「いや、、どうせムリ・・・」と決めつけてしまったり、本当はすぐそこに問題を解決するヒントがあるのに、内側のネガテイブな声に引きづられてそれが見えなかったりするんですね。
さらに厄介なのが、多くの人がその内側スクリーンの声を「自分の声」だと思い込んでしまっていること。「私はこう考えている」と思っていると、その声に疑問をはさむ余地がなくなります。
ですが、もしこう考えたらどうでしょう?
「この声は、本当に私自身の声なんだろうか?」もしかしたら、ただ頭の中で自動再生されている音声を聞かされているだけなのでは??
そして目の前にあるスクリーンとは、もし「過去の記憶や未来の不安に囚われてしまったら、``今ここ``に意識を向けてみる」ことです。例えば、今ここにあるものといえば、エアコンの音・鼻から呼吸をしている空気の流れ・足の裏のひんやりとした感触・・・などに意識を向けてみるとぐるぐる思考から距離をおけるかもしれません。
こう気づくだけで、ぐるぐる思考を少し俯瞰してみられるかもしれません。